67歳の美意識とは、リアルを認め理想の自分をプロデュースすること

自分の年齢は、高齢者、お年寄り、シニア、どれもにも当てはまる。

しかし、年齢でグループ分けされただけの「高齢者というステレオタイプ」で自分を定義づけられるのは居心地が悪い。

若年世代と高年齢世代の溝が深まりつつある現在では、高齢者のイメージは決していいものではない。

交通事故が起これば、「また、高齢者か」と眉をひそめられ、高齢者への免許返納圧力が強まる。

また、ネット上では、公共交通機関を利用する高齢者のマナー違反が若者たちを怒らせ、「家から一歩も出るな」とまで言われる始末。

耳が痛い。

しかし、実際のところ、若い世代が腹に据えかねるような、嫌な言動をとる高齢者たちが存在するのも事実です。

確信犯的に、マナーを無視する高齢者は「ジジイ」「ババア」と呼んでもいいと私は思います。

私の子供たちからも、「ジジイ」や「ババア」の苦情を聞かされることも少ありません。

妊娠中の大きなお腹で、上の子を乗せたベビーカーを押しながら横断歩道を渡っていた次女は、「さっさと渡れ!」と車の窓を開けた高齢者から怒鳴られたそうです。

「ジジイ!」と呼んでいいです。

また、サウナで体を整えることを楽しみにしている長女は、狭いサウナルームにタオルを広げて敷き、素っ裸で寝ている高齢者にムカついたそう。

「ババア!」と呼んでもいい。

私達高齢者もまた、この社会に生きている限り、他者の存在を意識しなくてはいけません。

他者を尊重することで、自分も尊重される資格があるのだと思います。

そのためには、居住まいを正し、自分の美意識を持って、「自由に」かつ「品性をもって」生きたいものです。

というわけで、今回は自らの「67歳の美意識」について、語ってみようと思います。

目次

67歳の今を生きる私の美意識

高齢者に美意識は必要と強く思った出来事

「もうね、好き勝手に、自由に生きればいいじゃん」と、長いこと私は美意識なんて改めて考えることはありませんでした。

しかし、昨年、自治体の趣味のダンス教室に参加したことで、「高齢者であるという甘え」から、「自己中心的で人の迷惑に考えを巡らせない言動」の70代女性に出会い、「こういうのってヤバいんじゃない?」「ダメじゃん!」と問題意識を持ち始めたのです。

「ルールを勝手につくって、勝手に行動し、それを人にも押し付ける」ことを何とも思わない。

平然と正当化する態度にショックを受けたのです。

それは具体的には教室運営を巡っての役職決め、会費の徴収金額と方法の押し付けで顕在化しました。

私が教室の会長役をその人からお願いされ、引き受けたのが発端です。

その人は、新米の私に何の引継ぎもなく、「会費は毎月500円集めること」「講師には月5000円の謝礼金を安くて申し訳ないと言って渡して」という指示のみを残して姿を現さなくなりました。

しかも私に直接ではなく、旧会員の口を通して。

カッチ~ンと来ました。

時間もエネルギーも差し出して、運営していく当事者の私に何故直接伝えないのか。

電話に出れない時はSMSメールをくれればいい。 (LINEも使える人)

引き受けたからには責任を持ってやろうと思っていたので、出端(ではな)をくじかれた思いでした。

自治体の運営母体組織の規則には、「一講師一回の講座につき6000円の謝礼金を支払う」という規定があったにもかかわらずです。(後で調べて分かった)

それを講師と面識があり、安く抑えたいとの理由で、水面下で「5000円」でお願いする交渉をして承諾させていたのでした。(後で講師に聞いて分かった)

とんでもない逸脱行為です。

彼女に誰がそんな権限を付与したというのでしょうか。

新規体制で教室運営が動き出す前に、困った「置き土産」をされてしまったのです。

私は、正当な報酬を受け取る権利のある講師から「一回の謝礼金分から1000円を値切って、自分たちの会費の安さを享受する」という姑息な考え方、やり方を自分に押し付けられるのは絶対に嫌でした。

年間にすれば1万円も搾取することになります。

「人の不利益と引き換えに趣味を楽しむことが成り立つ」という発想自体がそもそも理解できません。

また、なんの情報も持たない私に会長役を依頼するなら、運営上の決まり事や、運営会費について情報を共有し、疑問点を解消してキチンと引き継ぐのが筋なのです。

たまらず、メールで抗議したら、即刻電話がかかってきて「遊びでしょ。仕事じゃないんだからそう固く考えないで」と一蹴され、取りつく島もなく丸投げされた状態になりました。

その後は、こちらからの連絡には「なしのつぶて」で、勝手に教室を辞め、会費も徴収できずにほとほと困りました。

言いたい事はいっぱいありましたが、都合が悪くなると逃げを決め込む相手には成す術もありません。

封印した腹立たしさとモヤモヤ感を抱えながら、会長としての役目を果たすべく1年を乗り切りました。

しかし、この出来事をきっかけに「高齢者が美しくある」とはどういうことかを考えるようになったので、ある意味いい経験だったのかもしれません。

「人のふり見て我がふり直せ」と言います。

高齢者こそ「美意識」を持たないと、容姿だけでなく、生き様もなし崩しに醜くなっていくのではないでしょうか。

若い世代に「年を取るっていやだね。ああはなりたくないね。」と絶望させないことは大事だと思います。

「高齢者は老害化する前に皆集団自決」(経済学者・成田悠輔氏)と言わしめる、少子高齢化に追い詰められた日本です。

「PLAN75」の映画のように、後期高齢者が安楽死を奨励される未来もフィクションで済まなくなるかもしれません。

そういった高齢者への愉快とは言えない問題提起に、腹を立てて終わりでいいのでしょうか。

どうやったら老害としか見られない存在から脱却できるのかを、個人レベルでも考える必要があると思います。

そのためには、高齢者は「美意識」をもって居住まいを正しましょうよと言いたいのです。

美意識とは

ここで言う「美意識」とは、「生き方、あり方に対して、自らが美しいと思う理想の姿をプロデュースしていくこと。そのための努力を投げ出さず、自堕落や同調圧力に引き込まれずに踏み止まる意志の強さを持つこと」です。

美意識を持つには、まず今現在の自分自身の姿をリアルに見つめ、認めることから始めたい。

私の肉体は60年以上もの歳月を経て、経年劣化と共に衰退の一途をたどる状態にあると認めます。

今後動作は緩慢になり、老化と共に周りに迷惑をかける存在になる可能性があります。

心理的には、気力や好奇心に乏しくなり、周りの人間や社会のことに関心を持たなくなる傾向があると認めます。

だから「自分優先」で「わがまま」で許されるという事はありません。

そこで、私は次のように自分の理想の姿を考え、プロデュースしてみようと思います。

福島ハワイアンズにて(右端がのっち)

生き方、あり方についての美意識

・他者に対する配慮を忘れないこと

・社会的弱者やLGBTなどの少数者に対して差別しないこと

・多様な価値観に対して迎合はしないが寛容であること

・怒りなどの感情はむき出しで表現せず冷静さを持って意思表示すること

・自分が守りたい者たちのためには自分ができる全てを捧げること

・日々の暮らしの当たり前である「片づけ・身づくろい・清潔」を保つこと

・できるだけ笑顔でいること

・自分の外見を「気分の上がる自由なオシャレ」でクリエイティブに楽しむこと

・人と比べず自分軸を持って自分に恥じない生き方をしていくこと

・自然を慈しみ親しんで暮らすこと

・人にマウントを取ろうとする卑しい行為をしないこと

・たとえどんな地位の高い人物の前でも恥じることなく堂々としていること

・若さに嫉妬する愚かなふるまいをしないこと

・欲を搔かないこと

・やがて自らに訪れる死に対して覚悟と態度を決めておくこと

まとめ

他者との関係が乏しくなる今後の人生では、「自分のことしか考えない」という傾向が出てくるのも仕方ないことだは思います。

しかし、自身の尊厳を保つためにも「美意識」を持って、自らを律していくことは大切ではないでしょうか。

そのためにも、できるだけ長く健やかな体を保ち、自分のことは自分でできる工夫が必要ですね。

ここまで生き長らえた命を「美しく」使い切っていこうと思うのです。

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